下駄箱に入っていた紙切れ、もとい手紙を読んだのは体育の授業から帰ってきた後だった。分かりやすいようにかどうか知らないけれど、その手紙は蓋の裏にセロテープで貼り付けられていて、この方が逆に分かりにくいんじゃないかという程。私が髪留めを拾う間蓋を持ち上げ、立ち上がるときにそこを見たからよかったものの、私が髪留めを落とさなかったらこの差出人はずっと待つ羽目になっただろう。かわいそうに。でも良かった。偶然の産物とは言え結果から見れば私は手紙を受け取ることができたんだから。
「ま、読まないけどね」
ビリビリビリ。二つ折にされていた手紙は見るも無残、紙くずと化した。それを散らからないようしっかりと纏めて廊下のゴミ箱に捨てる。別に見られて困る行動ではないけど、キョロキョロしてしまう。そのキョロキョロの時間が私の良心。
「あー!司ちゃんまた手紙捨ててるぅ!」
厄介なのに見られた。廊下の端にある理科室から丁度出てきたところで私が見えたから声をかけようと思ったんだろう。そしたらなんと私は手紙をビリビリ破いて捨てているではないか、これは声をかけてやめさせなきゃ、ってところか。
「…だから捨てちゃ駄目だってば。司ちゃんを思って書いた手紙なんだよ?」
「なにそれ?今時ラブレター?やだやだそんなヤツ。それに、私がいつも朝遅刻ギリギリに来ることを考えないであんなところに手紙を貼るヤツなんて嫌」
もっともらしいことを言う私の言葉を聞いて納得しかけたのか、舞は何かに引っかかったように立ち止まる。そして一瞬の間を置いてまた駆け寄ってきた。私の半分とチョットのサイズでトコトコ走る舞はやっぱり可愛い。
「だ、だからそれをちゃんと相手の人に言わなきゃ!何も言わずに破って捨てるなんてやっぱりヒドイよー」
破裂するんじゃないかってくらいブーブー膨れる舞の言いたいこと、私の良心は分かってる。でもそれじゃあ舞はどうなるんだ。あんまり公にはできないけど、私と舞は親友よりも先の関係だ。なのにこの子は人の気持ちに応えろと言う。
「じゃあ舞は、私がその差出人のところにノコノコ行って『はい喜んで』って言ってこれば満足なの?」
丁度私の教室の前、私がドアに手をかけながらそんなことを言ったものだから、舞は教室にも行けず立ち止まった。今度は一瞬じゃなく、数瞬の間があってやっと答える。
「だだ、駄目だよ!絶対駄目!」
やれやれ、どうして欲しいんだかこのお姫様は。
「はいはい、わかったわかった。でも大丈夫。誰かが私を好きでも、私が好きなのは舞なんだから」
喜んでいるのか照れているのか、それともからかわれたことに怒っているのか、舞は顔を真っ赤にしながら俯き、その後教室に向かって可愛く駆けていった。
「後で下駄箱でねー!…って聞こえてる?」
猛ダッシュで走り去る舞に聞こえたかどうか分からない。でも毎日のことなんだから、今日も昨日のように下駄箱で待っててくれるだろう。その後一緒に部活に行けばいい。
「で、なんでアンタがいるわけ?高瀬さん」
下駄箱で待っているはずの舞がいなかったから、先に道場に行ったんだと思い来てみたら。無人のそこで竹刀を持って待っていたのは舞ではなかった。私たち剣道部を指導してくれている高瀬先生の娘で、自身も剣道部の高瀬彩。何でもこの家は武道の世界では名門らしく、彼女も相当の腕前を持っている。
「…やっぱり、読んでないのね司。今朝の果たし状」
「あの手紙アンタからの果たし状だったの…誰のかわからなかったけど捨てちゃった。例えアンタからの果たし状だと知ってても破いて捨てたけどね」
彩が手に持った竹刀をギリギリと握るのが聞こえる。ついでに私の悪口も微かに聞こえた。デカ女で悪かったな。
「フ、フフフ…まぁいいわ司!今ここで竹刀を交えることができればそれでい」
「断る。舞を探しに行かなきゃ」
そう言い捨てて振り返ろうとしたとき、奇妙な違和感を感じ、振り返る。そこにこの場この状況ではありえない表情を見た。
「な、なに?気持ち悪い…」
彩がニヤニヤ笑ってる。なんなんだこの気味の悪い笑い方は。
「これを見てもまだ、そんなことが言えるかな司ァ」
ニヤニヤ笑う彩の顔から目線を外し、その竹刀が指し示す方を見る。今日は剣道部の使用日だというのに敷かれた柔道用マットが見え、その上に何故か体操用マットが敷かれ、その上に制服姿の小柄な少女が横たわっていた。
「舞っ!」
駆け出そうとした私を竹刀で制する彩。こんなヤツ、私にも竹刀があれば一瞬で叩きのめすのに…。今彼女を抜くことは容易い。でも背を見せるわけにはいかず、私は結局ここで止まることしかできない。
「どういうつもり、高瀬さん」
その問いに答えるより先に、どこから取り出したのか、私を制する竹刀とは別の竹刀を私に差し出してきた。
「言ったでしょ?果し合いよ、受け取りなさい。それとも舞を放って逃げ出す?」
「くっ…」
差し出された竹刀を受け取り、彩の竹刀を払う。あわよくば竹刀が飛ぶことを願って。
「卑怯者!何が望みでこんなこと」
私と剣を交えたいなんていうのは嘘に決まっている。この戦いに勝つことが、彼女にとって何か大きな意味を持つんだろう。
「あーはっはっは。私が何を望むかって?もちろんアナタの舞よ。見てわからない?」
その言葉の意味を理解したときには、彩の手元を狙って竹刀が動いていた。相手も私も防具をつけていないのだから、竹刀を落としてしまえばおしまいだ。しかしその考えは彩も同じだったようで、軽々と防がれる。
「フフ、油断したわ司。貴方意外と強かったですもの…ね!」
言葉と共に彩が上段の構えから全力で竹刀を振り下ろす。こんな見え見えの剣で私を打とうというのか。
「随分大振りだね、彩!」
左足を半歩下げ体を開く。完全に避け切れる筋だ、更に言うならここで真っ直ぐに突っ込んでくる彩に相当のダメージを与えることもできる。それほど隙だらけの攻撃だった。
「ヤァー!!」
彩の振り下ろした竹刀が床を叩く音が響く。ここは冷静に避け、彩の竹刀を奪えばそれで決着…のはずだった。
「司、残念」
それは全くもってありえない光景。言葉と共に飛び上がった彩は竹刀を軸に、そうまるで棒高跳びの様に舞い上がる!
「高瀬流操剣術
五○式『空割り』!」
あまりの出来事に咄嗟には判断できなかったが、思い出す。この勝負、背後を取られれば終わりだ。
「アアァァッ!」
竹刀を一旦捨て、思いきり前転。そのまま半回転しつつ跳ね上がり、着地した彩と再び対峙する。構えた竹刀が重く感じるのは剣道から外れた動きからくる疲労だろうか。
「やるわね司。これを避けられたのは貴方で十人目」
「…それは素晴らしい命中率の技ね」
互いに竹刀で牽制し、近寄らせることはしない。同じところを回りながら、試合のようににらみ合う。いや、実際これは試合よりも過酷だ。防具がないのだから、いくら竹刀といっても手加減なしに斬りつければ腕が折れてもおかしくはない。
「でも、この技をかわせた人間はいないわ…」
「私が一人目になれるなんて光え…え?」
気付けば彩の竹刀が目の前に迫っていた。肩ギリギリのところでかわす。床がまたバシンと鳴った。
「アハハ、避けれてないわよ司」
「アンタ目見えてる?今貴方が打っ…くっ」
またしても竹刀が近づく。そして避けるたび、体が重くなっていく。極度の緊張とストレスで疲労がたまっているのだとしたら、早く決着をつけなくては。
「なかなか持つのね司。でももう終わる。貴方の竹刀、重くなってるんじゃない?」
確かに重くはなっている。でもこれは重く感じるだけで、正体は疲労ではないのか?そんなことを思案するうち、ついに彩の竹刀が肩に当たり、私は自らを守る術さえも手放した。
「…避けられないって言ったでしょ?鋼を繊維でコーティングした不可視のワイヤーなんだもの。貴方が避けたのは竹刀だけ。貴方が私の竹刀を掠めるたび、納豆の糸のように次から次へと絡みつくの。そんなの避けれない。わかるでしょ?」
「そんなもの…あるわけないじゃない」
見えないワイヤーだなんて、バカバカしい。何か騙す仕掛けがあるはず…何か…。
「貴方が纏ってるそれが、現実よ!」
彩は突きの構えを取ると、立ち尽くして動けない私に向かって突進してくる。この無防備な状態で全力の突きを受ければ…最悪生きてはいられないだろう。
「舞…」
「食らいなさい!高瀬流鋼索拘束術 七一○式 『大木突き』!」
大木よろしく突っ立つ私の喉元に竹刀が迫る。彩が攻撃の姿勢を取ったせいかわからないが、体はわずかに動く。しかし、わずかだ。首を逸らすとか腰を曲げるとか、増して足を動かすことなんて絶対に不可能。繊維だかなんだか知らないが、厄介なものを巻きつけてくれた。
…待て。得体の知れない何かが巻きついているなら、何でスカートがいつも通り広がってる?制服も糸が巻き付いているようには見えない…。じゃあ、動けるんじゃないか?
「終わりよ司!舞は私のモノォ!」
眼前に迫る竹刀の切っ先を見、決死の思いで膝を折ろうとする。あの勢いで喉元を狙ったのなら、倒れこめばかわせるはず!
「なっ…ああぁっ」
悲鳴を上げて転がっていく彩。何だ、動くじゃない。
「…一人目ってことね。全然嬉しくないけど」
その後、私が握っていた竹刀を彩に握らせて尋問し、舞に誤らせ、ついでに私にも謝らせ、もっとキツく断罪しようと身構えたところ。
「彩ちゃんの気持ちを破って捨てたのは司ちゃんなんだから、許してあげなきゃ駄目」
という舞の慈悲深すぎる言葉で彩は罰を脱したのだった。
「舞、あれで本当によかったの?」
帰り道、彩から奪い取ったイカサマ竹刀を玩びながら聞く。あまり二本を近づけるとまた痺れてしまうため、注意して持たなくてはならない。また使わないようにという建前が半分、面白そうという興味が半分で持ってきたが、今は後悔が全部に変わっていた。
「いいよ。だって彩ちゃん、私のこと好きだから司ちゃんと戦ったんでしょ?それってさ、嬉しいことじゃない?」
今度は私が立ち止まる番だった。彩のやつそれで舞を捕まえて私に勝負を挑んできたのか…。
「…舞は私じゃないヤツに好きって言われてもついてくんだ」
こんなこと言ったら、また舞は立ち止まっちゃうんだろうな。
「そ、そんなことないよ。私だってもし違う人から手紙もらったら、ビリビリ破いちゃうかも…だって私が好きなのは司ちゃんだもん!」
そこで振り返った舞の顔は、夕日に照らされて真っ赤になっていた。
おしまいっ